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「戦車がやってくる」幻視に怯える松島トモ子さんの母、「レビー小体型認知症」と診断されて…

母に認知症の症状が表れたのは2016年春のこと。転んで骨折した手首に巻いたギプスをはさみで切って外してしまうため、病院で再装着してもらうことを繰り返しました。1日2回、病院に付き添ったこともあります。家中のはさみを隠したところ、母は台所に立ち、包丁でギプスを切ろうとしたため、慌てて止めました。

 本当は、ここで母の異変に気づくべきでした。母はおしゃれな人なので、ギプスをつけた姿が嫌なのだろうと解釈したのです。冷静に考えればおかしいのに、私自身が母の異変を認めたくなかったのかもしれません。

母の誕生会でショッキングな出来事、心が凍えて…

  《心底ショックを受ける出来事が、母の95歳の誕生会で起きた。東京都内の中国料理店で主賓の志奈枝さんは出席者と話もせず、料理を黙々と口に運ぶばかり。心配になって松島さんが話しかけると、志奈枝さんが失禁したのだ》

 皆さんの前でどう取り繕えばいいのでしょうか。心が凍え、母のことを思うよりも、自分の方がその場から消えてしまいたかった。

 この日を境に、いつもの母とは明らかに異なる行動が目立つようになりました。乱暴な言葉を吐いたり、物を投げつけたり。それまでの母は、こうして年を重ねられたらいいなあと憧れる存在でした。言葉遣いは上品で、人様の悪口は決して言わない。自宅でもだらしない格好はせず、朝からきちんとしている。「トモ子ちゃんの立派なお葬式をだしてから死ぬわ」という冗談が口癖で、周りが納得してしまうほどでした。

 そんな心から尊敬する母が変わっていく姿は、耐え難いものでした。私自身、ストレスのため過呼吸で病院に搬送され、パニック障害と診断されました。介護と自分の病気が重なり、心が折れ、仕事も休まざるを得なくなりました。

ソ連軍侵入の記憶が幻視に?

  《次第に、志奈枝さんには「幻視」などの症状が表れるようになり、松島さんは対応に戸惑った》

 「コートを着て軍靴を履いた人たちが相談しているわ。トモ子ちゃん、見えるでしょう」「窓ガラスに光が見える。戦車がやってくる」――。母は夜になると、自宅でそんなことを叫ぶようになりました。商社マンだった父と満州(現中国東北部)で生き別れ、終戦後、母は乳飲み子だった私を抱えて帰国しました。ソ連軍が侵入し、戦車が列をなしてきて怖かったという話を私は何度も聞いています。その記憶が幻視として現れるのでしょう。私は電話で110番するフリなどをして、母をなだめるしかありません。

 真夜中に家を飛び出すようにもなりました。足腰はまだしっかりしていたため、あっという間に遠くに行ってしまう。徘徊(はいかい)という言葉をよく聞きますが、逃走という感じで、こちらが懸命に走っても追いつくのは容易ではありません。外出着のまま、母の寝室の入り口に布団を敷いて寝る日々が続きました。

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