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股関節の次はツボ…難病リウマチとともに生きる「ストレス」を退治する

24歳のときにリウマチを発症したフリー編集者の小西恵美子さん。リウマチに苦しんでいた母親を身近に見ていたため、「リウマチは治らない」と思い、太く短く人生を生きるしかないと徹夜をしても仕事の充実を優先するような生活をしていた。しかし、罹患して30年経った今が実は一番元気だという。そこに至るまでの長い道のりをお伝えしていく。

身体障害者1級手帳をもらった途端、職場の立場が激変した悲しい現実

 小西さんの「薬漬け」の闘病生活は10年以上続いていた。
会社から身体障害者手帳をもらうことを勧められ、1級と認定。しかしそこに待っていたのは、中心で働いていた職場環境から外される現実だった。薬で痛みを誤魔化しながら通っていた会社を辞める決断をした小西さんは、股関節治療院に出会い、薬に薬を重ねる薬漬けで副作用に苦しむ生活から脱却することを決意する。

 そこで見たのは、主治医も驚くような血液検査の結果だった。その後転職し、また次のフェーズに治療は進む。「健康」とは一体どういうことなのだろう。

 【注】小西さんの体験としてリウマチの治療歴をお伝えする。薬に対する反応や治療の効果は個人差がある。

股関節の次はツボ…難病リウマチとともに生きる「ストレス」を退治する

3分野の仕事をすることになり、さらなるストレスが蓄積した Photo by iStock

広報・IR・社長秘書を兼任

 股関節の矯正には週に1回通った。背骨を正しい位置に戻す。血流をよくする。自然治癒力を増進させる。薬を飲まずにどこまでよくなるのか、私の身体を使って試してみようと思うと楽しくなってきた。明るい気持ちになると身体も軽く感じる。仕事以外に本も読みたい。映画も観たい。美術館にも行きたい。旅もしたい。思いは募るが、予定を入れすぎると疲れ果てて痛みが強くなる。少し無理をしただけで、翌日は使いものにならず、ただベッドに横になる。もどかしい。

 23年間、薬とストレスと不規則な生活で身体を酷使してきた。身体は痛みで症状を訴えたが、私は身体の声を聞こうとしなかった。薬漬けにして、痛みも症状も封じ込めて仕事にまい進した。リウマチは悪化。当然だった。

 IT企業の広報(PR)の仕事の一環でWebマガジンを開始した。編集者としての経験が役に立つ。3年経った頃、社長秘書が産休をとることになった。秘書のほかにIRを担当していたので、産休の約1年間、広報、IR、秘書の3つを兼任するように言われた。無理だと主張したが、IRの資料作成はマーケティング部が手伝うことで辞令が出た。経理の知識もあったほうがいいと担当者から始業前に1時間レクチャーを受ける。朝の身体のこわばりと痛みを我慢して出社した。

 PRとIRは並べて言われるが、内容はまったく違う。IRは株主や投資家に経営状態や財務状況、業績の実績、今後の見通しを決算発表の報告とともに説明する。

 IRは編集の仕事とは程遠い。編集者の友人に話すと誰もが「無理」と言う。私は苦手な分野に挑むのがつらかった。3分野の兼任は無謀だ。よくなりつつあった身体がストレスと疲労で逆戻りした。

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